今回は「ひめゆりの塔」の口コミ・評判を調査しました。
ひめゆりの塔が「怖い」との声はなぜ?
ひめゆりの塔は、沖縄の心霊スポットでは有名の場所です。
検索してみると、この場所では不可思議なことが起こるそうでネットに挙がっていた声をまとめてみました。
- 悲鳴やうめき声が聞こえる
- 写真を撮ると心霊画像が写っている
- 気分が悪くなる
- 人のシルエットが見える
このように多くのいわゆる怪奇現象とよばれるものがあったと書き込みがありました。
”怖い”と書いている方は実際に修学旅行でひめゆりの塔に行かれたり、夜肝試しのつもりでここに来た人のようです。
実際にこの地では多くの人が亡くなりましたので、もしかするとその方たちの亡霊ではと言われています。
ただ、ネットには噂話なども多く真偽は不明なものも多いようです。
書き込みの文をよく見てみると夜中に行っている人がほとんどですので、夜の暗さ歴史背景が相まって恐怖や不安感に襲われて、普通ではない精神状態になるのかもしれません。
それが原因でもしかすると何でもない現象が怪奇現象に感じたのかもしれません。
怪奇現象ではないなら、どのような理由があるのか検証してみました。
・悲鳴やうめき声が聞こえる
風の音や洞窟で共鳴する音を勘違いした可能性があります。
・写真を撮ると心霊画像が写っている
夜で見えづらい物体がたまたま写っており、それを心霊と勘違いしたのかもしれません。
・気分が悪くなる
人が多く亡くなっている場所ですので、元々気分が良い場所ではありません。
・人のシルエットが見える
この場所には慰霊碑以外にも祈念館や人工物がありますので、ライトを当てた時など何の影が映ったりしたのかもしれません。
ひめゆりの塔は当時の陸軍の病院が置かれていた場所に建っていますが、この病院は自然洞窟内につくられていました。
洞窟のことを現地ではガマと言うのですが、沖縄戦ではアメリカに追い詰められ最終的にはガマの中に身を隠し戦っていました。
このガマの中では、自決をしたりケガが原因で亡くなったりと多くの命が失われています。
ですので、もしかすると単なる風の音がまるで、人の声に聞こえたと言う人がいるのかもしれません。
心霊写真を撮ったり人影を見たと言っているかたもいるようですが、この証言は夜に撮影したり訪れた方が多いですね。
一概にはいえませんが、元々そこにあるもので夜暗くて見えずらかった可能性もあります。
例えば、祈念館中のカーテンだったり、地面に埋まっているポールだったり、昼間みると何気ないものが夜は怖いものに感じてしまった可能性もあります。
気分が悪くなる方がいるようですが、過去に修学旅行で訪れた生徒がパニックになったり、号泣するなどは実際にあったようです。
ひめゆり祈念館などには、当時を知ることが出来る展示品を見ることができますので、感受性豊かな子が泣くことはあると思います。
この場所で起きた出来事は誰もが望んだものではなく、戦争に巻き込まれた結果です。
ひめゆりの塔に来られたかはこの悲劇を繰り返さないよう、心に刻み後世に伝えていきましょう。
ひめゆりの塔の良い口コミ
沖縄全土で地上戦が行われた沖縄戦は県民の4分の1が亡くなったとされており、県内にはたくさんの慰霊碑が建てられています。
ひめゆりの塔もその中の一つで、毎年国内に限らず世界中からこの地を訪ねる方があとを絶ちません。
口コミを見てみると、多くの方がひめゆりの塔に来て良かったと言っています。
良い口コミ1:平和の尊さを実感できる
よく見る口コミで多いのが、この地に来ることで何気ない日常が当たり前ではないということを考えさせられるといった意見が見られました。
実際に悲惨なことが行われた場所に建っているので、ここに来るだけでなんとも言えない気持ちになる方が多くいるようです。
毎回沖縄に遊びに訪れた際は、那覇空港からまずはひめゆりの塔に来て手を合わせる方もいるようです。
良い口コミ2:ひめゆり平和祈念館が隣接している
沖縄には他にも鎮魂の為の慰霊碑があるのですが、この場所にはひめゆり平和祈念館がありますので、当時の様子を知ることができます。
沖縄観光で来た人もこの祈念館に立ち寄る方が多く、当時の女学生気持ちを考えると涙が出てくるといった意見が多くありました。
祈念館では、戦争を生き抜いた方の貴重なお話を聞くことができますので、ぜひ沖縄に行かれた際にはと立ち寄りくださいのとのことでした。
ひめゆりの塔についておさらい
ひめゆりの塔とは、太平洋戦争末期の日本唯一の地上戦である沖縄戦でなくなった「ひめゆり学徒隊」の鎮魂のために終戦翌年の1946年に建立されました。
当時、沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通っていた女学生は、負傷兵の看護をするため「ひめゆり学徒隊」として戦地に動員されました。
ひめゆりの塔が建っている場所は、ひめゆり学徒隊の最後の地の一つである伊原第三外科豪の上で、ここで多くの女学生や引率していた教師が命を落としました。
塔のすぐそばには、ひめゆり平和祈念資料館があり当時の生々しい戦闘状況や豪での暮らしなどを知ることができます。
ひめゆりの塔は平和を願う象徴として、世界中に戦争の悲惨さを発信しています。
ひめゆりの塔はどんな人に向いている?
ひめゆりの塔は戦争や人の命について深く考えさせられる場所です。
もちろん太平洋戦争や沖縄戦、歴史に興味がある方は訪れると思いますが、沖縄に家族旅行に来たり友達と遊びに来られたかたもお立ち寄り頂きたいです。
那覇市内からもバスがでていますし、レンタカーなどを借りられる方はぜひルートに加えることをおすすめします。
項目 | 内容 |
---|---|
場所 | 沖縄県糸満市 |
建立年 | 1946年4月7日 |
概要 | ひめゆり学徒隊が従軍していた第三外科壕跡に立てられた慰霊碑。名前は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌「白百合」に由来する。 |
歴史 | 沖縄戦末期、沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒・職員が軍の看護要員として従軍。1945年6月18日に解散命令が出されたが、米軍の激しい攻撃により多くが死亡。第三外科壕では壕内にいた96名中87名が死亡した。 |
慰霊碑と資料館 | ひめゆりの塔の近くには、犠牲者を祀る慰霊碑(納骨堂)や「ひめゆり平和祈念資料館」があり、戦時中の様子や生存者の証言を展示している。 |
関連作品 | 映画『ひめゆり』、漫画『水筒〜ひめゆり学徒隊戦記〜』など、いずれも脚色があるが、沖縄戦の悲惨さを伝える作品が複数存在する。 |
アクセス | 「ひめゆりの塔前」バス停より、複数のバス路線が利用可能(82番、107番、108番)。 |
公式リンク | ひめゆり平和祈念資料館 |