「ルールは破るためにある」というフレーズ、何だかどこかで耳にしたことがあると思います。
一見、傲慢だったり無責任だったりとあまり良いイメージがないかもしれませんが、誰が言い始めたのでしょうか。
今回は、その言葉の起源や文化的背景に迫ります。
ルールは破るためにあるの元ネタがやばい?誰の言葉で名言なの?
「ルールは破るためにある」という言葉が、どこから来たのか。
実は、明確な元ネタを特定するのは難しいです。
誰が言い始めたとのデータが残っていないためです。
しかし、いくつかの説や解釈が存在するので、それを見ていきますね。
スターリンの「条約は破るためにある」が元ネタとの説があるが明確ではない
スターリンの「条約は破るためにある」という言葉が元ネタだという説もありますが、これは明確ではありません。
確かに、条約とルールは類似していますが。
ソ連(現在のロシア)のスターリンが日ソ中立条約を破って日本に宣戦を布告したことは歴史的に知られています。
しかし、同様の言葉を当時言ったかもしれませんが、実際にスターリンが「条約は破るためにある」と発言したという確実な記録はありません。
つまり、この説はあるものの、明確な証拠に基づいているわけではないですね。
スターリンが強固な外交姿勢を見せたことで、行動や言動がこのフレーズに結びつけられた可能性は高いと思われます。
英語の「Rules are made to be broken」という表現が元になっている可能性も!
一方、「ルールは破るためにある」の本当の起源として有力なのは、英語の「Rules are made to be broken」という表現です。
こちらのフレーズは、特にアメリカ文化の中でよく使われており、既存のルールに縛られない姿勢や、新しい発想を生み出すためにルールを無視する勇気を讃える言葉として浸透しています。
ビジネスの世界や、クリエイティブな分野でよく引用されており、マーク・ザッカーバーグのような成功者がルールに縛られずに行動した例が引き合いに出されることが多いです。
ザッカーバーグがハーバード大学時代にFacebookの前身となるFacemash.comを大学内で立ち上げた際には、大学内のセキュリティー違反や機密情報保護違反で、かなり怒られたと言われていますよね。
このように、ルールを破ることで新たな道が開かれる、という考えがこの言葉の背景にあるのです。
崩壊スターレイルの花火やトリコなどアニメ等でも使用されている
現代では、「ルールは破るためにある」という言葉が、エンタメ作品やゲームの中でも時々使われています。
「崩壊スターレイル」という人気ゲームでは、花火が「ルールは〜破るためにある〜」というセリフを発していてルールを破りながらも、自分の道を突き進む姿に共感するプレイヤーも多いのではないでしょうか。
また、アニメ「トリコ」でも、黒いバンダナと血まみれの白衣が特徴の良作が「俺は、ルールは破るが約束は守る男だ!」「そうだ!!そのくだらんルールを打ち破れ!!そうしなきゃ見えない明日がある!!見えない未来がある!!」と語るシーンがあります。
ルールに挑戦しながらも、自らの誠実さや信念を守る姿勢を強調しているのでしょう。
このようなアニメやゲームでの使用によって、ルールを破ることの意味が単なる反抗ではなく、信念や自由の象徴として描かれているのだと思います。
日本人は特にルールを守る・重視する文化があるので、そうした逆をいく性格が魅力的に見えるのだと思います。
ルールは破るためにあるって結局どんな意味が隠されているの?
この言葉の背後には、単なる反抗的な意味合いではなく、もっと深い意味が隠されていると思います。
ルールというのは、確かに秩序を守るために存在しますが、時にそれが創造性や個人の自由を縛ることもあるのです。
だからこそ、ルールは破るべき時がある、というメッセージがこの言葉には含まれているのではないでしょうか。
ルールを守ることは重要ですが、そのルール自体が時代遅れであったり、個々の事情にそぐわない場合もありますよね。
そういった時に、ルールに従い続けることが本当に正しいのか、自らの判断で行動すべきではないか、と考える人も多いでしょう。
ルールの目的を理解し、時にはそれに挑む勇気を持つことが大切ですね。
この言葉ですがトーマス・エジソンの発明秘話など成功者の考えに共通していますよね。
エジソンは電球の開発において、当時の常識に挑戦し続け、何千回もの失敗を経て長寿命の電球を完成させました。
既存のルールや技術的制約に縛られなかったことが成功の鍵だったので「ルールは破るためにある」って言葉がまさしくですね。
ルールは破るためにあるに対するなんJ・ネットの声を調査【無責任な言葉?】
ネットコミュニティの中でも、このフレーズに対する反応はさまざまです。
なんJやSNSでは、「無責任な言葉だ」という意見が少なくありません。
法律や規則を軽視することは社会全体に混乱を招く可能性があるという主張が見られます。
ルールを破ることが常にポジティブな結果を生むわけではない、という現実的な見方を反映していると言えるでしょう。
一方で、ルールに挑戦することが新しい可能性を生むという考えに賛同する声も多いです。
特に、クリエイティブな仕事やビジネスの分野では、既存のルールに囚われることなく自由な発想で挑戦する姿勢が評価されることがあります。
このように、ルールに対する考え方は、場面や状況によって大きく異なりますね。