誰もが一度は聞いたことがある「南無妙法蓮華経」ですが、一部でやばいと噂されているようです。
今回はそんな噂を調査しました。
南無妙法蓮華経がやばいとの口コミ1:しつこい?
「南無妙法蓮華経」と唱える行為そのものではなく、一部の信者による勧誘方法が「しつこい」との印象を生んでいます。
信仰は個人の自由ですが、その伝え方が相手に与える影響は大きいもの。
関係のない場面で突然教義を説かれたり、他宗派を否定するような発言を受けたりすれば、多くの人は戸惑いや不快感を覚えるでしょう。
友人から「唱えるだけで良いことがある」と半ば強制的に入信させられたという話も存在。
実際に、学校の友人から執拗に勧められたり、仕事の依頼内容とは全く関係なく「南無妙法蓮華経が正しい」と断定的に語られたりする事例が報告されています。
相手への配慮を欠いた強引な勧誘こそが、「しつこい」というネガティブな評価の本質と言えるのです。
「しつこい」と感じられる行動例 | 背景にある考え方(勧誘者側) | 受け手が抱きやすい感情 |
---|---|---|
繰り返し訪問・連絡をする | 相手を苦悩から救済したいという強い使命感 | 迷惑、恐怖、圧迫感 |
他の宗教・宗派を否定する | 自らの信じる教えが唯一絶対であるという確信 | 不快感、反発、不信 |
状況をわきまえず勧誘する | いつでもどこでも救いの手を差し伸べるべきという善意 | 困惑、社会性の欠如への疑問 |
「良いことがある」と断定的に話す | 自身の体験に基づく救済への絶対的な信頼 | うさんくささ、非科学的なものへの抵抗 |
南無妙法蓮華経がやばいとの口コミ2:危険?
南無妙法蓮華経は仏教で用いられる言葉であり、妙法蓮華経は主に日蓮を通じて多くの小説家や思想家に影響を与えたとされているのですが、ネット上では「危険」、「危なすぎる」などといった口コミが多く寄せられています。
南無妙法蓮華経の「危険」に関する口コミは以下の通りです。
このように、ネット上には「南無妙法蓮華経は危ない、危険」と感じている人が多く、多くの人が「南無妙法蓮華経と唱えさせる集団がおかしい」、「南無妙法蓮華経と唱えている人が危険」と感じていることが分かりました。
さらに、創価学会の友人葬では、南無妙法蓮華経の題目を参列した人全員で唱えることが決まりであり、お坊さんが読経を行う仏式の葬儀とは違い、参列者全員で唱える様子から「危険」と感じた人も少なくありません。
南無妙法蓮華経は万人の苦悩を根本から解決する法であり、万人に具わる普遍の法で、過去世・現在世・未来世という三世を貫く永遠の法です。
このように、南無妙法蓮華経の効果を信じることで、口ずさむ人や信仰者が全員で唱えることから「危険」という口コミが広がり、南無妙法蓮華経=危険という認識となったのでしょう。
南無妙法蓮華経がやばいとの口コミ3:最強?効果がすごい?
「南無妙法蓮華経」は、簡単に口ずさむものではないとされていますが、実は効果がすごく、最強との情報が浮上しています。
南無妙法蓮華経の「効果」に関する口コミは以下の通りです。
このように、ネット上には南無妙法蓮華経の効果に関する口コミが多く寄せられており、多くの人が効果を実感していることが分かりました。
南無妙法蓮華経を唱えることで、退魔効果があるとの情報が多く存在しますが、中には願いが叶うという情報も浮上しています。
実際に南無妙法蓮華経の効果を得た人の体験談は、営業部に苦手な人がいて、その人はいつも人前で批判をしてくる人でしたが、「南無妙法蓮華経」と唱え続けたことで批判をされることはなくなったというのです。
南無妙法蓮華経が最強で効果があるというのは、「お題目」に力があるとのことで、お題目には幸いを福に転じる威力が具わっているとされています。
そのため、「南無妙法蓮華経のお題目には即効性がある」と効果を実感した人による口コミが拡散され、より多くの人が南無妙法蓮華経を口ずさみ効果を実感したことで、「効果が絶大」との情報が広まったと考えられます。
南無妙法蓮華経についておさらい
南無妙法蓮華経とは、日蓮大聖人が覚知された、万人の苦悩を根本から解決する法とされており、意味は、「妙法を蓮華によって例えた経に心の底から帰依する」という意味があります。
また、唱える宗派は法華経を根本経典としている日蓮宗系の宗派であり、日蓮聖人は、妙法蓮華経のお題目を唱えるとき、心に三千の数に表される真実の世界と、「法華経」の功徳があまねく備わるといっています。
日本では615年には聖徳太子が著したとされる「法華義疏」の中に「妙法蓮華経」が紹介されており、聖徳太子以来、日本における仏教の重要な経典のひとつであると同時に、鎮護国家の観点から、特に日本には縁の深い経典として一般的に考えられてきました。
多くの天皇も法華経を称える歌を残しており、聖武天皇の皇后でもある光明皇后は、全国に「法華滅罪之寺」を建て、これを「国分尼寺」と呼んで「法華経」を信奉したのです。
平安時代初期には、「妙法蓮華経」を根本経典とする天台宗の祖である最澄も、「妙法蓮華経」を至上の教えとしており、現在も天台宗においては朝の勤行に「南無妙法蓮華経」を唱えています。