デビュー2年目に91勝を挙げるという鮮烈な活躍で一躍トップジョッキーの仲間入りを果たした川須栄彦騎手。
しかし、その後は勝利数が伸び悩み、「干されたのでは?」と心配する声も聞かれるようになりました。

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華々しい活躍の裏で、一体何があったのでしょうか。
本記事では、川須栄彦騎手が直面した困難やその理由、そして度重なる怪我を乗り越えて復活を遂げた姿まで、様々な角度から深く掘り下げて紹介していきます。
川須栄彦騎手が干された?素行や評判は?

デビュー当初の爆発的な活躍から一転、数年間は勝ち星に恵まれず苦しい時期を過ごした川須栄彦騎手。
その背景には、単に「干された」という一言では片付けられない、いくつかの複合的な要因があったと考えられます。
減量騎手の恩恵がなくなったため
川須栄彦騎手のキャリアを語る上で、デビュー当初の「減量騎手」としての活躍は外せません。
年間91勝を挙げた2011年は、関西所属の減量騎手が川須騎手一人だけだった時期もあり、多くの厩舎から引く手あまたの存在でしたが、この「減量」という大きなアドバンテージがなくなったことが、その後のキャリアに影響を与えた可能性は高いのです。
競馬の世界では、デビューして間もない若手騎手は、背負う重さが軽くなる「減量」という特典が与えられます。
これは、経験の浅さを補い、騎乗機会を確保するための制度です。
斤量が軽い馬はそれだけで有利になるため、多くの陣営が減量騎手を積極的に起用します。
川須騎手もこの恩恵を最大限に活かし、質の高い馬に騎乗する機会を得て、素晴らしい成績を残しました。
しかし、一定の勝利数を挙げるか、デビューから規定の年数が経過すると、この減量特典はなくなります。
そうなると、他の経験豊富な騎手たちと全く同じ条件で戦わなければなりません。
多くの若手騎手がこの「減量が取れた後」の壁にぶつかり、騎乗依頼が減少する傾向にあります。
川須騎手も例外ではなく、2018年頃には年間20勝レベルまで勝利数が落ち込んでしまいました。
単に実力が落ちたというよりは、減量というアドバンテージを失い、騎手としての真価が問われる厳しい競争環境に身を置かれた結果と考えるのが自然でしょう。
▼川須栄彦騎手のキャリア初期の成績推移
| 年 | JRA勝利数 | 主な出来事・特記事項 |
|---|---|---|
| 2010年 | 11勝 | 3月にデビューし、12月には所属厩舎を離れフリーに転向しました。 |
| 2011年 | 91勝 | 全国リーディング6位に輝く大ブレイクの年です。減量の恩恵も大きかったと考えられます。 |
| 2012年 | 69勝 | 小倉大賞典で重賞初制覇を飾るなど、引き続き活躍を見せました。 |
| 2018年頃 | 20勝台 | 勝利数が大幅に減少し、ファンから「干されたのでは?」という声が出始めた時期です。 |
騎乗スタイルや人間関係の問題が影響したため

減量特典がなくなったことに加え、デビュー当初の騎乗スタイルや周囲との人間関係が、長期的に見て騎乗依頼の減少に影響した可能性もあるかもしれません。
騎手という職業は、技術や腕っぷしだけでなく、調教師や馬主といった関係者との信頼関係が何よりも重要になる世界なのです。
川須栄彦騎手は、デビューした2010年と翌2011年の2年連続で、JRAが定める制裁点の合計が60点を超えるなど、騎乗が荒っぽいと見なされたことがあったようで、2012年には、レース中のプレーが原因で他の騎手から公に批判されるという出来事もあり、競馬サークル内で不評を買ってしまった時期があったようです。
また、デビューから1年も経たない2010年12月には、所属していた本田優厩舎を離れ、フリー騎手になっています。
これは、講習会への遅刻が直接の原因とされていますが、それ以前から厩舎側との関係性が悪化していたとも言われており、半ば追放されるような形でのフリー転向だったようです。
元競馬学校の教官であった蓑田早人氏によると、フリーになった直後は「川須が可哀想だ」という同情から多くの騎乗馬が集まり素晴らしい成績を残したものの、時間が経つにつれて「やはり厩舎側が正しかったのではないか」と周囲の見方が変わり、人が離れていってしまった、という経緯があったようです。
騎乗依頼は、調教師や馬主からの「この騎手に任せたい」という信頼の証です。
過去の出来事が、その後の騎乗馬の質や数に少なからず影響を与え、「干された」と見られる状況に繋がった一因であると考えられます。
▼騎手と関係者の信頼関係についての補足
| 項目 | なぜ重要なのでしょうか? | 川須騎手の場合はどうだったのでしょうか? |
|---|---|---|
| 厩舎との信頼関係 | 日々の調教からレースまで、馬を最もよく知る厩舎との連携は不可欠です。信頼されてこそ、有力馬の騎乗依頼に繋がります。 | デビュー後すぐに厩舎とトラブルになりフリーになった過去があり、キャリアの土台作りに影響した可能性があります。 |
| 馬主とのコミュニケーション | 馬の所有者である馬主の意向を汲み、レースで結果を出すことが求められます。良好な関係が継続的な騎乗依頼の鍵です。 | 騎手は個人事業主のようなもので、評判が落ちるとクライアントである馬主からの依頼が減ることに直結します。 |
| 他の騎手との関係 | レースは多くの騎手と競い合う場です。危険な騎乗は他の騎手からの信頼を失い、円滑なレース運びの妨げにもなり得ます。 | デビュー当初は、その騎乗スタイルが他の騎手から批判されることもあったようです。 |
怪我を心配する声も!今後も応援したい騎手の一人!

様々な困難を乗り越えてきた川須栄彦騎手ですが、ファンが心配するのは「干された?」という噂だけではありません。常に危険と隣り合わせの職業である騎手。
記憶に新しいのは、2025年10月5日の京都競馬場での出来事で、最終12レースの最後の直線で、騎乗していたセレッソデアモールが前の馬と接触し転倒。
川須騎手は馬場に投げ出され、自力で立ち上がることができず、担架で救急車に運ばれるというショッキングなアクシデントでした。
SNS上では「川須騎手、大丈夫か?」「後続の馬に踏まれたように見えたけど…」「無事に戻ってきてほしい」といった心配の声が瞬く間に広がりました。
診断の結果は「頭部および左肩の負傷」と発表されましたが、一時は意識の状態も心配されるほどの大きな落馬でした。さらに、この落馬は不注意な騎乗が原因と見なされ、過怠金10万円の制裁も科されています。
過去にも、2013年に調教中の落馬で胸椎圧迫骨折という大怪我を負うなど、怪我との戦いは常にありましたが、川須栄彦騎手の真骨頂は、ここからの不屈の精神にあると思います。
苦しい時期を乗り越え、近年はダート界の名馬シャマルとのコンビで再び大きな輝きを放っています。
2024年、デビュー15年目にして悲願のGI級競走初制覇となった「かしわ記念」。
翌2025年には同レースを連覇し、さらに新たにG1に昇格した「さきたま杯」も制覇するという快挙を成し遂げました。
かしわ記念を連覇した際には、ゴール前で「負けてたまるかという気持ちでした」と語り、その気迫あふれる騎乗に応えたシャマルとの絆は、多くの競馬ファンの胸を打ちました。
レース後には場内から「川須コール」が沸き起こったというエピソードも、ファンがいかにこのコンビの復活を待ち望んでいたかを物語っています。
一度はコンビを解消した時期もあったシャマルと、再び手綱を取って掴んだ栄光。
それは、過去の過ちや苦難から目を背けず、地道に信頼を積み重ねてきた川須騎手の努力の結晶と言えるでしょう。
川須栄彦に対する声を調査
川須栄彦騎手に対するファンの声は、その波乱万丈なキャリアを反映して、様々なものが見られます。
SNSなどの意見を調査してみると、以下のような割合になりました。
やはり最も多いのは、近年の復活劇を受けての応援や、今後の活躍を期待するポジティブな声でしたが、落馬事故もあり、怪我を心配する声も多く見られました。
また、デビュー当初のイメージや成績が低迷した時期の理由について、今でも疑問を持つファンも一定数いるようです。
Q&A
川須栄彦騎手について、ファンが抱きがちな疑問や、さらに深く知りたいニッチな質問をまとめました。
- 川須騎手はなぜ一時期「干された」と言われるようになったのですか?
デビュー2年目の2011年に91勝を挙げる大活躍をした後、数年かけて年間20勝程度まで勝利数が落ち込んでしまった時期があったためです。その大きな理由として、若手騎手の特権である「減量」がなくなったこと、そしてデビュー当初の荒っぽいとされた騎乗スタイルや、所属厩舎とのトラブルなどが原因で関係者からの信頼を損ねてしまった可能性が考えられています。これらが複合的に影響し、騎乗依頼が減少したことで「干された」と噂されるようになりました。
- 川須騎手の得意な騎乗スタイルや、馬券で狙い目の条件はありますか?
川須騎手は、特に「ダートの短距離戦」で強さを発揮することで知られています。戦法としては、スタートから積極的に前に行く「逃げ・先行」を得意としています。レースの流れを読み、パートナーの馬と呼吸を合わせて粘り込む騎乗は、多くの穴馬券を演出してきました。データ的にも、芝のレースよりダートのレースで高い複勝回収率(馬券に絡む確率に対する配当の期待値)を記録しており、特にダートの短距離で人気薄の馬に騎乗している時は、馬券的な妙味があると言えるかもしれません。
- 川須騎手は乗馬未経験から騎手になったというのは本当ですか?
はい、本当です。とても珍しい経歴ですが、川須騎手は中学まで野球に熱中しており、競馬学校に入学するまで乗馬経験は全くありませんでした。小柄な体格でもプロのスポーツ選手になれるという点に魅力を感じて騎手の道を志したそうです。競馬学校の試験に合格した後、入学までの数ヶ月間、毎日学校が終わると2時間かけて乗馬クラブに通い、経験者との差を埋めるために猛練習に励んだという努力家の一面も持っています。
- 近年大活躍しているパートナーのシャマルとは、一度コンビを解消していたのですか?
はい、その通りです。2022年の南部杯での騎乗を最後に、約1年間コンビを解消し、その間は川田将雅騎手や坂井瑠星騎手などがシャマルに騎乗していました。川須騎手は外からシャマルの走りを見守る立場になりましたが、この期間もシャマルのことを常に気にかけていたそうです。そして2024年の黒船賞で再びコンビが復活すると、見事に勝利。その後のかしわ記念連覇、さきたま杯制覇という快進撃に繋がりました。川須騎手自身も、この一度離れた期間があったからこそ、お互いの成長に繋がり、結果的に実りのある乗り替わりだったと語っています。このエピソードは、二人の絆の深さを象徴しています。